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episode - 5「友情か、愛情か」

サハラ

2019-01-30
文章
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[ シナリオ:共同者様 『友情か、愛情か』覚え書き


Side:望月

                        

二年過ごした屋久島から本土に移ると、学校と林業の補佐で日々を費やしていた生活はすっかりと一変した。

月収十五万、勤務時間は朝八時~十七時の間の八時間。
業務内容は猫の世話と家庭内の雑用。
それが望月恒介が己の検索で抑えた新たな住込み先だった。

彼の日常の基盤は猫の身の回りの世話となり、それを軸に他の義務を配置し、
空いた時間に友人朝霧美羽へ会いに行ったり、薔薇園アイシャの捜索を行った。
高校は時間の融通が利く通信制に切り替えた。

昔から渡り鳥の様に暖かい地域に移り住み、屋久島でも亜熱帯の地域で過ごしてきた彼にとって、
年明け間もない本土は特に寒かった。
加え山暮らしに仕事も移動にも労力と体力を伴っていたハードな生活と比べると、
肉体的な物足りなさを感じたが、細やかな場面を利用して運動能力やその精神を保った。

そんなものは些細な杞憂でしかなかった。

望月が気がかりなのは、ほとんど間を開けず度々不幸に見舞われた朝霧美羽の内側なのだ。
彼にとって女性が持つ儚さは、どこまで精細に砕けるのか分からない、計り知れないものだった。
それだけには留まらず、彼女が亡くした家族同然に親しい人物や古い友人と言う存在、
彼が過去に手放した宝物に近い輪郭を見せた。
それに魅力的なものだった。
もし朝霧が華奢な女性ではなかったのなら、決死の覚悟で嘆きの海原に飛び込み、
自らも水の冷たさや打ち寄せる波の苦痛に酔いしれながら救助を試みたい所であった。
ただ彼は、感情に任せて動くといい結果が得らないと、屋久島での怪物騒動によって凡そ勘づかされていた。
仮に何かしらの無理を払い薔薇園アイシャを見付けたとしても、また圧倒的な化け物や刃傷沙汰に巻き込まれていたとすれば
その場では身を滅ぼす以外手も足も出せぬ可能性が高い。
国内では銃器機を所持することも、その資格すらも未だ得ておらず、彼が信頼する武装の確保は不可能だった。

転居の準備期間で思案した末に、望月は共に溺れるよりもボートの上から慎重に溺れる彼女を引き上げる手段を選んだ。
繊細な気持ちは彼女に託し、彼は朝霧を助ける事に決めたのだ。


近くに暮らすようになると、自然と会話をする機会は増えた。
お祭りで表面化されぬ本音を聞いてからは、朝霧の主張には警戒を払い、望月は何を聞くにも常に彼女自身の本音を問った。
勿論朝霧は悪意的に隠し立てせずとも大体はその他に良い答えを繕う習慣を尚も優先し、彼の望みにはそぐわなかった。
ただしその場合、言葉以上に力を持った奥深い眼差しの問いに呼応して流れ出す心底の声を――自分がそれらに対してどう感じ、何を思うか、建前や道徳、他人の都合や義務の関さない、飾り立ての無い本心を顧みなければならなかった。告げるにも秘めるにも、自分を見詰める機会が朝霧には都度与えられた。

望月は言葉での表現が不得手であったため、労りや友好の多くは行動に託され、
彼は盲導犬の訓練を受けたドーベルマンのように寄り添った。
華奢な彼女が足腰を痛める機会はなくなり、晴れた日は外に出していたゴミを回収場に持っていく手間が消え、
寒い日も石油オイルで手を汚さなくなり、天気の悪い日も恐れる必要はなくなった。
そうやって無理のない程度に時間を作り、望月は彼女の精神的な疲労の軽減になりうるものを抑え、
自然な空気の中で手を貸した。

そうされる事に朝霧の顔は、いつもの仕事場や多くの人へ向けている、行儀の良い微笑みに歪んだ。
若い青年に世話を焼かれると、彼女は気恥しさや遠慮、どこかしっくりこないぎこちなさを感じて困惑する時もあり、
それは刹那的に駆け抜ける通り魔じみた不安にもなりえた。

朝霧はお姫様や誰かに対する最愛の人のように、自分を中心に扱ってもらえたこともなかった。
本人にしても両親は頼りなく、家庭では下の子達を、外ではクラスメイトや同僚を常に優先する習性がすっかりと根付いて、
今までは典型的な“善良なひとほど損をするタイプ“だった。
しかし無償の労りが一人っ子だった過去十数年間で無下にしてきた親への甘ったるい欲求を、
ノスタルジックな既視感で正体を暈しながら心へ反射させた。
照らす光はその一時一時を今より過去とした時、感じていた遠慮や不安を
漠然とした初々しい充実感とポカポカするはにかみに変容させた。
朝霧はそれに対しても殊更ざわめき、同時に未知なるものに恐れを抱くように警戒していた。

またその一方で、多少なりとも責任や応報を含む絶望へ希望の手が伸ばされるのを快く思わぬ辛辣な存在もいる。
主に彼女の皮肉な自尊心や心底にある卑屈な部分は、望月の野望を邪魔しようとしていた。
それは以前屋久島の雷雨にて、現実逃避しようとした朝霧へ執行された手口と同様であった。

朝霧は越してきた望月を身近に感じられてくると、屋久島に滞在していた頃を不意によく思い出し、
当時を象る夢を見るようになった。
夢の中の屋久島では二人の旧友の安否を確認しに行くため、雷が唸る真夜中の閑散とした集落を
雨に打たれながらホテルの部屋へ走った。扉の向こうにはいつも悲惨な二人の死体が伏せている。
毎回恐怖しショックを受けるが、感傷を覚える余地も待たず望月がすごい剣幕で「何故助けなかった」と咎め、
彼等の死に対する責任を課して来る。
目覚めればいつも汗に額を濡らし、一抹の安堵の後にどっと憂鬱になった。
お陰で朝霧は今までに無く強い感情をぶつけてきた彼が今更に怖くなった。
しかし、それは1週間も続かずしてちょっとの辛抱を経ると、
彼との平凡な新しい時間や印象に上塗りされる形で消え失せて行った。

彼女は望月の差し出す手にも戸惑いを見せるが、自分の中に潜む邪魔者達の意図する方にも気付かず、
自分のやり方で不満を払うように望月に対しても世話を焼き返した。
形式ばった知識において朝霧は、望月より圧倒的な強さを持っていた。
彼に高校の通信制の選択肢を示したのも彼女であった。
社会的地位の高いものとしての義務を持ち、若き彼の生活に目を配ったのだ。

親にすら姿勢を真っ直ぐ正した朝霧が、成人の境界を跨いで5つ下の肩書きを負う青年の度量を認め寄り掛かるのには、
時間を要するだろう。
そうして互いに気を向け合う、微笑ましくも不器用な彼らの日常が芽吹き、今後の土台となる一ヶ月はあっという間に過ぎていった。


――初雪を超えた二月。
まだ寒さは続いたが、陽が出れば日中の空気は上昇し、少し暖かい日も姿を見せ始めた頃だ。
十四日のバレンタイン――このささやかなイベントを楽しむ世の人々の類をもれず、
外交的な朝霧美羽も友達である青年の住居を訪ねた。
気の届いた彼女は、品柄を把握していた猫の餌も提げていった。
望月は彼女を部屋に上げ、彼女が彼へと贈り物を渡した瞬間にそれは起きた。

どちらの手元からもプレゼントは消え去り、二人は突拍子もなく、真っ暗な空間に包まれた。
足元には紙切れが落ちており、拾って見てみれば二人に手を繋ぐよう記されていた。
辺りには何もなく、途方も無い暗闇であり、この紙に従う以外に現状を脱する術は見い出せなかった。

望月は少々意識して手先を触れさせたが、朝霧は手を繋ぐ行為を親子のそれのように遠慮せずに取った。
2人の手が繋がれた瞬間、風景は一転して短い廊下に変わる。

周囲は紫色の壁で囲われ、二人の前には白い木目の床が正面に見える紫の扉まで渡されていた。
扉には金色に鈍く光るハート型の取っ手が備わっている。
無知な目で見ればそれらは少々上品な色彩で扱われた少女向けのデザインだった。
ただし大人の目には、真夜中の片隅にある、俗物的ないかがわしい世界への入口の様に見える。
背後は行き止まりだった。

二人は繋いでいた手を離し、扉へと向かっていった。
その先には四角い小部屋があり、左手にはテーブルが置かれ、正面の壁には赤と青の扉があった。
テーブルにはまた紙が置かれており、この事態や空間を齎した人物と思わる者よりヒントめいたものが記されていた。
2人は目の前にある青と赤の扉、別々に別れて先に進まなければならないようだった。

そして、この先より赤と青の扉に男女別れて入り、先にある短な通路の空間で紙に書かれたミッションを得て、
次の部屋で合流し、 そこで互いには秘密にして指示を達成する工程を重ねていく事となる。

最初に得たミッションは、望月には相手にあーんして料理を食べさせる、朝霧には調味で料理に何かをかくと言うものだった。
その先にあった部屋はダイニングキッチンであった。
カウンターキッチンがあり、その手前には可愛らしいデザインの白いテーブルと椅子が備わっている。キッチンには料理本とエプロンもしっかりと用意されていた。
目的を帯びていた2人は互いに懐疑を抱くことも無く、暗黙にその部屋の機能を堪能した。
朝霧は得意の分野であった料理へ自然に足を運び、オムライスを作って望月に出して、彼の前でケチャップにて絵を描いてみせた。
星のような形をした6まいの花弁を持つ花で、2度に渡り望月が朝霧へ贈った花であった。
以前も夢の中で薔薇園アイシャの肖像画を高い技量を見せ非常に美しく描いたが、この食卓も彼女の持つ芸術性が伺える場面となった。
ヒマワリやタンポポのように強い特徴を持つ花では無かったにも関わらず、一目で判別出来、ケチャップで描ける具合にデフォルメされていたのだ。
望月は食後にキッチンへ行き、料理本と朝霧から習う料理の技量をもって、マロンパフェを失敗なく完成させ、それを朝霧に食べさせた。
彼はぎこちなく口許を笑いに歪めながらスプーンを彼女の口へはこんだ。
朝霧は特に拒んだり恥じらう反応も見せなかった。
むしろ茶目っ気を含んだノリに便乗するようにして軽快な食い付きを見せ、望月の脳裏へ“パックマン“を過ぎらせた。
口のように一部が欠ける黄色い丸で表現されるゲームのキャラクターで、迷宮の中に散開するお化を避けながら道道に散らばる好物をひたすら食べ進んでゆかねばならない。
黄色い彼もまた、朝霧のように平和そうな明るい笑顔がシンボルだった。
望月はかつて仲の良かった友人の家でその古いゲームを認知したのだが、多くは逃げるだけで殆ど無力な丸をいかにしてゴールまで運び届けてやるかより、勇者となって武器を持ち、立ち塞がる敵を倒して強くなりながら世界を救う事に友人達は熱くなった。
食後のデザートを食べ終えると、扉の開く音がして二人は先に進んだ。

二つ目のミッションは相手の髪を洗う事と背中を洗う事だった。
ミッションの紙に脱衣用のカゴとタオル、そして桶やスポンジ等の入浴道具一式が供えられていた。
通路の先に現れたのは銭湯を思わせる大浴場であった。
タオルと言う頼りない布切れ一枚で、望月は大きく響いてくる心拍が煩く感じられていた。
常に究めて健全に衣服で固めていた彼女の白い柔肌は、この場においては手先や頬だけでなく、
頼りない丸い肩や鎖骨、細く芸術的な曲線の腕や足も暴いていた。
対する朝霧の目には、若い子全般を下の妹弟と同等に捉えるフィルターが掛かっていた。
そのまま朝霧は特別髪に触られることに抵抗も見せず、望月は彼女の髪を洗った。
リンスの際は全体に伸ばした後、集中力を伴ってまるでハリ艶を出す儀式か職人技かのように、
感覚的に細やかに表面を叩いた。
さすがにこの奇行へは彼女も深い微笑みを禁じ得なかった。
その後朝霧が望月の背中を洗った。
上京前も下の子達のお風呂を見る事もあれば、時にアイシャ嬢の入浴の世話も行う専属メイドにとって、珍しい行為ではなかった。
問題なのはそんな待遇など受けた事も無い彼の方だった。
青年の背は朝霧に対し若者の緊張や煩悩を何も語ることをせず、
代わりに気を紛らわすように慣れた手捌きを感心の色で評した。
彼女が背中を流し終えると、入口とは対抗側にある扉の開く音がした。
少しだけ肩まで浸かって身体を温めてから、二人は先に進んだ。
奥には着替えとドライヤー、次の指示の記された紙があった。

三つ目のミッションは望月へ下着姿で寝るよう、朝霧に手を繋いで寝るよう、下された。
その先の部屋を覗いてみると、そこは弱々しいランプの灯りがダブルベッドを照らす寝室だった。
ここまで来て、二人は薄々勘づいていた何かを確りと意識しざる得なかった。
それに対して朝霧は道徳心を通して保身的になり、対する望月は半ば畳み掛けて来るような追求心を得て無抵抗だった。
保身的になるならば言動は楽なもので、朝霧は先に部屋へ入り平常心で構え彼もたどり着くのを待っていた。
望月が来るまでには少し間を要した。そして部屋に入ってきた彼は、ミッションどおりにして服を脱ぎ出した。
唐突だったため朝霧はさすがに驚き、反射的に体を背けて彼を視界から外した。
帽子すら取り払って下着一枚になった望月は、ベッドへ回り込み、朝霧にも声を掛けた。
2人はミッションを遂行しなければならなかった。
朝霧は反対側から布団を捲ると、端っこギリギリまで寄って背を向けて寝た。
彼女は青少年に悪影響を与えないよう健全な対応をしているつもりであったが、
もはや極端な行動を取っていることに、気づくゆとりはなかった。
望月もベッドに入って寝た。
居心地の悪いが離れ難いような、妙な空気になった。
青年は中学時代に一度出会した異性との深い接触の中で得た人知れぬ侮辱的な経験から、
恋愛と行為を手堅く結ぶものがやや緩められていた。
“セフレ“というもの、軽蔑すべきそれが人により尊重されている社会を認知していた。
そして彼は隣の親しい人物が、厭らしい獣の目を持って乗り上げてくる女性なのか、
見かけ通り悩ましくいじらしく身を委ねてくれる女性なのか、気になっていた。
ほんの微かな布擦れの音が背後からすれば、朝霧はめざとく上体を起こして振り向いた。
動きはまるで、くせ者に恐れ応じたお偉いさんの様だった。
望月が身を乗り出すように近寄って来ていた。
ふたりは顔を合わせ少し時を止めて、朝霧は何事か尋ねた。
奇襲に失敗したことを理解した望月は、元の位置へ座り、言葉を探して、朝霧は何故衣服を脱がないのか尋ねた。
朝霧もそのまま座る姿勢に落ち着いた。
二人は広いベッドの上に間を開けて座り言葉を交わし始めた。
会話はどこかぎこちなかった。
互いがこの空間がどの様な場所に感じられるか、それを確認してから、望月はおもむろに異性との経験を尋ねてきた。
それが恋愛全般を差すのか、それとは切り離した一部の行為に対する物なのかは、
朝霧は場の空気でそこはかとない理解に至れた。
そして自らはそういうものが好きだとすら付け足してきた。
彼はこの異空間に来てから積み重ねてきた経験と、部屋の雰囲気にすっかりと刺激を受け飢えていた。
朝霧は彼に思春期の若者を感じた。彼に見られる拙さはひたすら青々しいものとして映っていた。
それが自立した男の精神へどれほどの侮辱屈辱を与えるものであるか考えることは無かった。
今回は彼女にとってそれが、思わずニッコリするような恭しい他人事ではなかったのが、致命的欠点だった。
聖者じみた貞操の道を無意識に歩み、人と言う動物から或る種の神聖な域に感性を落とし込んでいた朝霧は、
自らへ向けられたそれに一種の汚らわしさを催した。
朝霧が七色に輝く羽を持つ透明な妖精ならば、望月は泥に塗れて遊ぶ猪ーーそこまで言っては朝霧の同僚の来ヶ夜の方が相応しいかもしれないが、それでなくとも、望月は外気を含んだ雨水をも抱く海原で、水飛沫を上げて跳ね回るシャチのようなものだった。
ただし飽くまでそれは精神的な世界のものであり、どちらもが人間と言う動物である事が揺るぎない事実であった。
朝霧は思わず彼の方を見て、顔が赤くなるのを感じながら、やんわりと不躾きわまりなりない質問を咎めた。
適度な男性の硬さが見られる彼の身体は、彼女が若い子へイメージする極端な、未熟な滑らかでのっぺりとしたラインとは違かった。
何故男性は乳房を晒す羞恥心や隠す習慣を女性下着の確率と並行して持たなかったのだろうか。
布団を掛けているせいで下肢は隠れ、下着を付けている認識すら霞みそうだった。
彼女は視線を目の前に逸らして続けた。
彼は常々に乾いた土のような男臭さを感じさせた同僚の来ヶ夜康介とは違い、
ほのかな木の香りを纏うしっとりした男臭さを持っていた。
先程の入浴で互いに清潔になったため、今は木の香りすら無かった。
どちらもがただ石鹸の香りがして、肌はまだ微かに湿っている。
朝霧は女性にそのような事を尋ねるのは失礼であると説いた。
質問にも答えなかった。
彼女が望月との物事に対し、拒否で返したのは初めての事だった。
望月も色艶のある反応は得られず、教師か親御のような態度と説教によって諭されれば平常心に帰っていった。
異性との関係性や精神的な方面に対しては、彼も慎重であった。
扉が開く音がした。
朝霧はミッションを果たすことは出来なかった。
望月は再び衣服を着込むと2人は先に進んだ。

次が最後の部屋となった。
ミッションが書かれている筈の紙には違った内容が記されていた。
紙の人物は何者なのか、何が目的なのか。
今までの経験を踏まえて、互いをどう思っているかを整理し伝えるようにと言葉が添えられ、
互いに出題されていたミッションの開示とその成果が記されていた。
かわいらしい丸い文字とそのコメントっぷりは、まるでおせっかいなキューピットのようだった。
通路の先の部屋には、噴水とベンチがあった。
ベンチは白く背凭れはハート型に象られていた。
背景に君臨する神秘的な噴水からは紫色の水が光に照りキラキラと細やかな輝きを振りまいて吹き出していた。
2人がその部屋に辿り着くと、朝霧は少々照れくさそうにして、現実世界で渡した贈り物とは別のプレゼントを渡した。
朝霧はキューピットのおせっかいを受けて、自分の気持ちを表現したのだ。
それはチョコレートだった。オムライスの時と同じく、彼女の丁重な思い遣りを感じられる猫、
彼が最近仕事で飼育しだした動物の形をしていた。
そして朝霧は友へと友愛を伝えた。
贈るチョコレートは、目に見える形としてその可愛らしく誇らしい愛情を示していた。
対する望月は。目の前の女性がただの同級生か、もしくは平凡な友達であったのなら、
付き合ってみないかと問える位の愛着は既に抱いていた。
ただ彼は彼女との間に自らが敷いた、崇高な目的の為に旅立って間もなかった。
頭が見定める謙虚とこの空間に振り回された感情の蓄積の相違に困惑し、
望月はその場で明確な気持ちを見つけ彼女へ贈ることが出来なかった。

チョコレートはやはり甘ったるく、仄かな心地の良い酸味の刺激を持つブランデーの陶然たる香りがした。
二月十四日の仕来りに相応しく、彼が彼女からの心尽くしを受け取って
感謝を抱くに事は収まり、朝霧も不満は抱かなかった。
かくして2人は再び手を繋ぎ、帰りの道と示された紫の噴水へと飛び込んだ。

消えゆく意識の中で繋いだ手の温もりから“ひとりじゃない“と心に優しく囁きかけられるような安心感を抱いた。
それはそれぞれの心の隙間に潜り込み、柔らかく膨らんで傷を慰めていくようだった。

そのまま穏やかな心地に包まれながら意識を手放し、気が付くと二人は望月の家のリビングに戻っていた。
彼の手元には緑色のプレゼントがしっかりとあった。
朝霧からの了承を確認してから改めて包を開けてみれば、中にはスポーツタオルが入っていた。
男性物のデザインの、灰色のスポーツタオルだった。
甘いものがあまり好きではない望月を考慮した、朝霧らしいチョイスだった。


END
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