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episode - 「白い幸福論」

サハラ

2019-06-25
文章
2 COMMENTS

[ episode - 5「友情か、愛情か」後日談 ]


白い幸福論

彼にとって“幸せ“は
山々の谷間に見受ける美しい湖か、道脇に見られる野花のようなものであった。

到達する場所ではなく、人生という上り下りの激しい道の端で見つけるものだ。

進む事へ余裕を欠いていればいとも簡単に通過し
今への意識を怠って視点を無為に飛びかわしていても、容易に見過ごすだろう。

新しい道に谷間の湖が見えなくなっても
それでも彼の脚力となるのは、過去に積み重なってゆく道端の"一会な微笑"だった。




庭先の樹林や街の並木にも深緑が根付き始めた三月半ば。
ある日の昼下がりだった。望月は、見慣れぬものを手に提げて朝霧の家を尋ねた。
朝霧は、正体は分からないが、なんの目的で持ってきたものであるのかは分かっていた。。
今日は14日。彼がバレンタインのお返しをすることは予測出来ていた。
だけどそれは、マシュマロやクッキーでもなく、ハンカチでも、女性を喜ばせるアクセサリーでもない。
彼女が予測しうるどれでもなかった。

ダイニングに通すと、まっさらなクロスが掛かったテーブルの上に無骨なボックスが置かれた。
持ち手付きの鉄製の道具箱のように見えた。
ぱっちりと瞬いて、尚も目を丸めていた朝霧に向い、箱の口が開かれる。

蓋が捲られると同時に、中からスライド式の三段トレーが左右に展開された。
その起動や形は薔薇園アイシャのメイクボックスを彷彿とさせたが、中身はどうだろうか。
かわいらしいもの、カクカクしたもの、オシャレな飾縁の施された物。
いろいろなデザインのひらがな、カタカナ、英文字や記号がびっしりと詰められていた。
文字を区切る仕切りが、まるでマスのように見える。
底には文字達を満足に載せられそうな、フレーム板がいくつか収められていた。
収納されているどれもが柔らかな色合いをした木材で出来ている。

望月はバレンタインデーのお返しとして、これでネームプレートを作りたいと言った。
朝霧は打って変わって嬉しく、次いで突拍子もなくて困った。
少し待つよう断って、家の中を見渡した。
どこか苦い嬉しさを顔に浮かべながら慌ただしく記憶をめぐらせると、玄関トビラには、まだ表札のない事が思い当たる。
社宅のお隣やお向かい、女性が住む部屋の扉には、どこも表札がかかっていた。
ただし、朝霧美羽の部屋以外だった。
入居1年未満に甘えて、ついつい仕事にかまけり疎かにしてしまったが、いい機会だった。
来客に表札を出しておくのも、親切であると同時に礼儀でもあるのだ。

こうして、図画工作の時間が始まった。
ダイニングテーブルに新聞紙が引かれ、朝霧は道具箱のパーツたちと向かい合う。

手始めに底からフレーム板を取り出して、種類を確かめた。
長方形、ダイア、ハート型など8種類あり、どのフレームも木面が滑らかに均されていた。
横長の丸い板を残して他をボックスに返すと、続いて文字を選んでいく。
丸みのあるひらがな文字に目を引かれた。
ひとつひとつを手に取って確認しながら、吟味して選んでいった。
すると望月は鞄からの具を出した。

「どれがいい」

朝霧は首を傾げた。
彼は、今度は板やパーツ一つ一つの色を、また、模様なども必要な場合は尋ねてきた。
これにより朝霧は再び悩む事となった。
イメージの中で色を与えながら改めて完成系に配置していくと、困ったことに、次々と変更案が割り込んでくる。

「…すみません、違うデザインの文字に変更してもいいでしょうか?出来れば、飾りのパーツも付けたいのですが…」

要望は取り分け不都合なく肯定された。
望月は組んだ腕を胸前でテーブルに載せ、朝霧が真剣にパーツと睨めっこしている様を、隣からどことない興味を含んだ面持ちで見ていた。

彼が朝霧美羽の近隣に越してきてから二か月が経過した。
生活は安定し、真新しさから定着へ。日常が大人しくなってゆくにつれ、お互いに対するふたりにも、打ち解けた変化が応じていた。
もともと深い付き合いに疎い朝霧は絶妙なもので、表面的な変化はほとんど出さなかった。
当初はぶきっちょな対応を端々に見せていた望月は、急激に精神的な成熟を遂げていくかのように、日に日に落ち着き払い、動じなくなっていった。
彼の目上へ抱く苦手意識を認知していなかった彼女は、この変化に感心も抱きつつ、先輩目線では少々都合が悪く、残念でもあった。


- - -


体育の授業に並ぶものはなかったが、図画工作の学科で執り行ったような、ゴツゴツした手作業も緊張した。
しかしこの期に及んでは、ほの暗い緊張は不安だった。
朝霧は、自分なりの趣味やセンスでデザインを描けばいいだけで、後は彼が作ってくれるのだから。

パーツひとつひとつを順番に取って、色を指定しながら完成イメージを描いていく。
望月はその様子を、彼女が料理を作っている時、あるいは何かを教えられている時と同じ態度で見ていた。
ただ、それらと目の前の作品には、大きな違いがあった。
彼女がいつも作る料理は、何かを説く言葉は、食べる人やいざなう人に従事していた。
しかし今の朝霧の中にあるイメージは、自分以外の誰にも依存していなかった。
木材の記号が集まって、段々と彼女のような雰囲気を抱いていく、なんとも謎めいた過程である。

”表現力”は、彼にとって、全体的に枯渇する才能だった。
驚いたのは目の前の作品だけではない。
以前夢の中で朝霧が描いてみせた薔薇園アイシャの肖像も、芸術の良し悪しの分からぬ彼ですら、彩美が理解できた。
もっと様々な事に着手すれば、精密に彼女の才を発揮して、興味を奪っていくものも現れよう。
彼女はあくまで今の仕事、慣れ親しんだ家事を好む。
それらにも鋭敏な感性より培われた”表現力”の密接に関わり合う拘りが、日々のこまやかな物陰から段々と見えてきていた。
趣味においてすら叙情的な恋愛物語に傾倒を見せるのも、官能が秀でた芸術家の特性を示している。
確かに朝霧は、望月の知らぬ所でも、言葉という手法を用いた"自己の表現"で記憶を描き記す行為、日記も好んで習慣づけていた。

彼女はおそらく、家事自体を好むと言うよりは、長い着手の中で独自のセンスや感性をもって見出した、画家が作品の術に持ち得る描き方や柄、色使いのような、そう言った拘りの精髄こそが重要であった。

にも関わらず、今のが唯一の天授を果たせる芸術かのように、彼女を盲目にさせていた。

芸術家は孤高を愛し、自分の為に多くの時間や精神を、時に支出を用意しなければならなかったが、彼女にはそれが何ひとつとして出来ない。
むしろ全く正反対の環境で生活し、慣習を築いていた。
感性や発想を押さえ付けてしまう理性も、発育環境の中で高待遇を受け、彼女の中で高慢に座している。
芸術とは、自己の快楽が根幹に必要だ。
それでも、引き換えに得た教養の深さや文学的な傾向も、今や長所へ昇格されつつある。
彼女は無垢な興味さえ解き放てば、芸術に引き篭もれる可能性も、一定の学問へ立て籠れる可能性も秘めている。

片や彼はどうだろう。
温帯の豊かな草木の只中で感受性は磨かれたが、それは神聖な鮮やかさを持つ感受性とは結びつかず、世俗的感性を一心に研磨しただけだった。
芸術に理解の及ばぬ者が傾きやすい無機質の学問にも価値を見いだせぬ彼には、器用さと、孤高の時間が多くあたえられた。
しかし器用さも、自らが彩り描き上げる素晴らしき設計図を持たずしては、工場の機械のようなものだ。外注で働き掛ける以上の価値を持たない。
望月は独りの時は好奇心相手に遊ぶ事は出来ようと、己の能力では決して自己に満足感や充実が与えられぬことを、その時の中で啓していた。

もし独立した時間が彼女にあったのなら、
もしくは、彼女が全く正反対の環境に生きていたら。
その華奢な手先から彩られてゆく設計図を目の当たりにしては、彼女の中にある育まれるべき才を感じずにはいられなかった。

ここにいるのは、外交に拐われた自らを充実させる才を秘めた娘と、
孤立に慣れた自らを充実させる才を持たぬ青年だった。



望月はの具道具を広げて、アクリルの具でパーツ達に色を付けた。
アクリルの具は透明度のない、淡いパステルカラーをパーツ達へ与えていく。

それらを見ていると、朝霧は、木材のようなクリーム色の生地の上から同様のパステルカラーのアイシングを施した、カラフルなクッキーを作りたくなった。
パステルの具の不透明さと、アイシングの不透明さは似ているように思える。
職場へ差し入れれば、休憩時間に行われる談笑の摘みにされるのが定番だった。
ふと目の前にいる青年は食べないと思うと、少し残念になり、なにかと笑う顔も眉尻が下がった。

「朝霧の選ぶ色は、白が多いな」

そう言った彼は、一瞬手先から視線を逸らした。
パーツの色だけではなく、家の中にも白は多かった。
朝霧は出し抜けの台詞に一瞬目を丸めた。

「シンプルですし、他の色とも合わせやすいですから。」

そう言ってゆっくり部屋の中を見渡し、とある対象に行き着いた時、目を細めた。

「それに、光が強まった後に見える色は、白のように見えますよね?…そう思って見ていると、なんだか、幸せの色のようにも見えませんか?」

楽しみを含んでいるように、くすっと笑いながら話していた。
望月は、冗談を言っているわけではないだろうが、特別に深い観念の中で紡がれた言葉でもないと理解した。

今まさに感知した、生まれたての観念だった。
朝霧は隣に面したリビングにある、白いソファを見ていた。
そこは午後の清らかな陽がベランダから差していた。
柔らかい光を浴びて、喜んでいるかのように彩度を上げている周りの色達に比べて、白のソファはひと際まばゆく、まるで発光しているようで、思わず目を細めたくなる。
その白を見ていると、確かに、光が幸福を象徴する色だと言う意見に、彼も頷けるような気がした。


- - -


色付けされたパーツ達はベランダに出される。
新聞紙の上で青空に晒されて、体が乾くまで、少しの休憩を与えられた。
朝霧は頃合よくお茶とお煎餅を出して、作業をひと段落させた青年を労った。

絵の具が乾いたら、いよいよプレートへ文字を乗せてゆき、想像が実体として形を表してくれるだろう。
朝霧は望月がお茶を飲んで一息着いたのを見届けてから、テーブルの端に置かれている道具一式を見た。
絵の具は選んだ色以外にもたくさんあった。
これはまだ良いが、彼女の意識が向かうのは、道具箱――文字のパーツ達だった。
大型ホームセンターで目にする機会はあったが、ひとつひとつが高価ではなくとも、多種のデザインと文字を買い漁れるほど安価ではない。
この機会の為だけに用意したものであったなら、なかなか気が引けるコストパフォーマンスに伺え、朝霧は苦笑いを零し、少し心を冷やした。
なので、心配そうに確認を挟む。

「この絵の具や道具箱は、どうなさったんですか?」

望月は屋久島の学校にいた時の模擬店の看板作りで取り揃えたものであることを簡易に伝え、道具箱を反対向きにして見せた。
背面の端っこにテープが貼られ“三年 望月恒介“と言う黒い字が書かれていた。

田舎住まいだった朝霧は、小中高どの学年でも、組み分けされる事がなかった。
彼も同じだったようだ。
学年と名前が記されるネームシールの、不器用な、歯痒い懐かしさを持った雰囲気は、ふと教室の匂いを思い出させた。
絵の具や道具箱から放たれる香りも、すっかりと美術室の匂いに感じられる。
朝霧はそのまま、不意に教室から入り、学生時代の日々へ思考が引き寄せられていった。

――しかしいざ振り返ってみても、先入観に膨らんだ期待を晴らしてくれる感動は、生まれなかった。

浮かび上がってくるのは、家で家事をしていた事。
ほとんどのキラキラした青臭い思い出の予感を見送って、平坦で取り留めのない繰り返し作業が織り成す、隠世の軌跡だった。
個人として充実を覚えていたささやかな学校生活も、それ以上のワクワクした好奇心を全身で表現し、発光する予感の中へ走り去っていくクラスメイト達の姿で、すっかり台無しにされてしまった。

際立って眩しく根深い青春の思い出などは、残念ながら記憶に無かったのだ。

回想を切り上げざるえなかった朝霧は、果てに薄い溜息で肩を落とし、改めて自責の念に及んだ。

「望月くん。あの、やっぱり通信制ではなくて、高校にはちゃんと通って頂きたいと思います。私は家の事にかまけっていたので、学校生活や行事を疎かにしてしまいました。やはり、もっと満喫しておけばよかったと後悔しています。」

ただただ、同じ道を辿って欲しくない一心だった。
懺悔を聞いてから、望月は感嘆めいて訊ねた。

「何故そこまでする必要がある?」

朝霧は答えに迷い、少し黙った。

「昔から父も母も苦しい状況にありました。苦しい時は出来ることをして支えあっていくのは、家族として必要なことではないですか?」

正論であるというように、彼女は意図せず、瞳でも共感を求めた。
共感すべき意見だった。
だが彼は目の前で苦い笑顔を見せる若き女性の人生に、無視し難い違和感を覚えた。
そして少し考えるように彼方へ視線を動かしてから返した。

「それは続いているのか?」

答えを待つようにじっと見ていたが、朝霧は笑って、違う話題で切り返すのだった。


いよいよ、図画工作の時間も大詰めを迎える。
接着剤がはみ出て吹き出物のように固まってしまったり、少し斜めに傾いてしまったり。
ズレを直して接着剤の引きずり後が残ってしまったり、さまざまな可能性を所々で頭に浮かべながら朝霧は隣で見守っていた。
しかし彼の手により、パーツは綺麗に貼り付けられて行った。
裏面に金具と紐を付けると、ついにそれは完成した。

横長な丸形プレートには、アルファベットで朝霧美羽と書かれている。
シンプルだが、女性らしい可愛らしさが密かに隠されたデザインのネームプレートだ。

制作にあたった望月には、この数か月間付き添って理解を追求し、鋭敏に伸ばされた朝霧美羽アンテナへ、ダイレクトな電波を放っているようだった。
彼女が作った料理やプレゼントのチョイスのような、彼女"っぽさ"がある程度ではない。
これは彼女に関して、匂いのような、手の感触か温度のような、或いはそれ自体かのようだった。
ひと目で朝霧美羽だと分かる高貴な暗号が、ささいな組み合わせから"なるちっぽけな創作"に乗り移っていた。
彼女の一部では無いものが彼女を表現している。
彼は驚きと、陶酔めいた感心の混じった不思議な感想を密かに覚えた。

望月は隣に座って嬉々とした眼差しを向ける朝霧にネームプレートを差し出した。
朝霧は受け取り、改めて木材の重みと手触りを手に感じ、柔らかな色や形を瞳に移せば、心がじんわりと震えた。
彼女は自分で予想していたよりも感動していた。
自身で好きな色やパーツを選んだ、自分だけのオリジナルネームプレートなのだ。
確かに工作には疎かったが、日ごろから料理や味付けで創造することには慣れている筈だった。


「素敵な贈り物、ありがとうございました」
朝霧はネームプレートを両手で目の前に掲げ眺めてから、微笑んで告げた。
そしてまた同じように眺めて、席を立つと玄関へ向かった。
綺麗な歩調に合わせてゆったり靡く三つ編みの先を、望月も追った。

ドアの除き穴の下に金賀を付けて、ネームプレートの紐を掛ける。
こうして、およそ一年間飾り気がなかった扉には、ようやく表札が付けられた。
柔らかな色彩を持つプレートは、黒いドアの引き締まった印象を緩和すると共に、この住居の雰囲気も表せていた。
最初に朝霧が想像し、望んだ通りの光景が実現された。

「あ、ついに表札かけたのね」
通路の傍にあるエレベーターが開くと、上の階に住んでいた同僚が降りて、声を掛けてきた。
朝霧は笑顔で挨拶をして、望月も控えめに頭を下げた。
二三分くらい他愛無い会話を朝霧と交わし、同僚はエントランスから外へ消えていった。

自分と同じように上品な制服を着た後ろ姿を見て、不意に朝霧は後悔に打たれた。
ここが格式ある薔薇園家の社宅で、訪問する割合の多い客層を配慮して表札をデザインすべきだったと、今更に勘づいた。
人に仕える立場として根付いていたはずの感覚を、すっかりと忘れていた。
刹那的なショックのようなもので、ネームプレートへ振り向くと、すぐ様それの持つ価値が後悔を上回り、許してくれた。

友達からの贈り物であり、
自分好みにデザインして一緒作った、世界に一つだけのネームプレートだった。

まだ陽は陰る気配を見せずに、エントランスの向こう側は爽やかな青空に包まれている。
朝霧は隣の友達を見た。
望月は何色かの感情を微かに乗せて表札を見ていた。
彼が気付いて振り向いた時、朝霧はお礼を言うかのように、やわらかく微笑んだ。

微笑、ネームプレート、3月14日。
どれもが、あの眩いソファの色をしていた。

朝霧美羽の気持ちも、今、同じ色のまっただ中にいた。
しかし彼女は、その事に気付いてはいない。
意識に入るのは、日陰から暖かな陽射しへ抜ける時の、すうっと気分が浮き上がっていく感覚だった。


このひとときの安楽を、彼女はどう受け留めるだろうか。
薔薇園アイシャの――親しい人物の不幸中を嘲る、許され難い不謹慎な罪と捉えるのか。
不幸続きの中で出会えた、ささやかな幸福と捉えるのか。

それは、彼女の顔に咲く表現の中からでさえも、推し量ることは出来ない。

答えは、形ある真実ではないのだ。
心の中にあり、彼女が自分のセンスで選びとるべき可能性たちだった。




― END ―


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2019/06/25 (Tue) 16:24
サハラ

サハラ  

Re: タイトルなし

>コムギさん
はい、ご推察の通りです。本筋は浮上している要素の都合上
どうしてもシリアスになりがちなので、出来る部分では暖かい空気も入れたいと思ってます^^:
望月は人に働きかけられるようなキャラにしたかったので、このようなギャップ系になりました。
いつも読んでくださりありがとうございます。
コメントどうもでした。

2019/07/01 (Mon) 15:44

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